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印鑑がなくなる?

弁護士原幸生による記事です。

1.リモートワークの推進

 働き方改革が叫ばれている中で、新型コロナウイルス感染拡大も後押しする形となり、多くの企業でリモートワーク体制への移行が進められています。しかしながら、押印のために出社を余儀なくされるといった実態もあるようで、いわゆる印鑑文化からの脱却が議論されています。

 政府は、6月に、内閣府・法務省・経済産業省の連名で「押印についてのQ&A」を公表し、契約書に印鑑の押印は必ずしも必要なものではないとの見解を示しました。要するに、押印の有無は、契約の有効性自体には影響しないとの内容で、法的には当然のことを言っているにすぎないのですが、このような当然のことについて敢えて言及するということは、印鑑文化からの脱却を推奨しているように伺われ、この点が話題を誘い、ニュースサイト等でも取り上げられているようです。

2.商取引上の慣習

 我が国の商取引の慣習上、契約時の押印は重要視されていますが、民法上、押印それ自体が契約成立の要件となっている規定は少なく、多くの商取引において、押印の有無で契約の有効性が左右されることはありません。つまりは、押印があろうがなかろうが、双方が合意していれば、契約は有効に成立することとなります。

 そうはいっても、実際の商取引では、契約書に押印することは半ば常識となっており、政府は印鑑が必要ないと言っているものの、本当に契約書に印鑑を押さなくてもよいのかと、なんとく心配になる人もいるかと思います。そのような感覚は半分当たっており、以下に述べるように、押印には一応それなりの意味があります。

3.契約の成立が争いとなった場合

 先ほど、双方が合意さえすれば、契約は有効に成立すると言いましたが、本当に合意したのかどうかが争いとなった場合に、これを立証することは、なかなか難しいものがあります。合意したか否かは、結局のところ、その人の内心に関わるものですから、これを立証しようとすると、内心を表す客観的な証拠が必要となります。

 そこで、多くの商取引では、契約書ないしそれに準ずるような書面を作成しているのです。このような契約書は、双方が当該契約書に書かれている内容について合意したという事実を証明する証拠として使えます。

 ただし、契約書が作成されたとしても、「これは偽造されたものだ」「こんな契約書自分は知らない」と言われた場合はどうすればよいでしょうか。

 偽造された契約書では、その人(もしくはその会社)が、契約書に書かれている内容に合意したという事実を証明することはできません。そこで、契約は有効に成立しているのだと主張する側は、作成された契約書が真正(つまりはその人の意思に基づいて作成された本物)であること証明する必要があります。法律上も「文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。」と規定されているのです(民事訴訟法228条1項)。

 ただし、この証明もそれほど簡単ではありません。たとえば、契約書作成過程の一部始終を動画で撮影する方法も考えられますが、現実的には、動画で撮影などできるものではありません。商取引はお互いの信頼関係で成り立っているので、契約書の作成過程を動画で撮影するような相手(企業)とは、誰も取引したがらないでしょう。それに、デジタル技術の発展した現代において、動画の編集は容易に可能であり、その証明力も絶対というものでもありません。

 そこで、このようなケースでは、証明の負担を軽くするため、法律上、ある事実さえ認められれば、文書が真正に作成されたことを推定するといった規定が定められています。実は、この場面で、押印の事実が重要となってくるのです。

4.押印の意味

 すなわち、契約書に「本人」による「押印」がなされていると、当該契約書は真正に作成されたことが推定されます(民事訴訟法228条4項)。

 なお、本人による押印か否かをどのように判断するかですが、書面に残った印影と印鑑の印面が一致していれば、印鑑の持ち主である本人による押印であることが事実上推定されます。なぜなら、日本の印鑑文化を前提とすれば、普通は、自分以外の他人に印鑑を渡したりはしないからです(少なくとも裁判所はそう考えています)。そうすると、印影と印鑑が一致していれば、特に疑わしい事情がない限り、印鑑の持ちである本人が押印したのだろうと推定されることとなります。

 もちろん、押印以外の手段で、書面の真正を証明することを妨げられるものではありません。たとえば、政府のQ&Aに紹介されている例を挙げれば、以前から継続的な取引関係があったという事実や、双方でやりとりしていたメールの内容等から、契約書の真正を証明することも考えられます。政府Q&Aには、そのほか、電子署名や電子認証サービスの活用する例も紹介されています。

 特に、電子署名や電子認証サービスについては、既に2000年時点で、「電子署名及び認証業務に関する法律」が法制化されています。電子署名法3条は、電磁的記録の情報に本人による一定の電子署名が行われているときは、真正に成立したものと推定する旨規定しており、電子署名に、押印と同等の効力を持たせています。

 2020年現在、既に複数の民間「電子署名」サービスが台頭していますが、一般財団法人「日本情報経済社会推進協会」の調査によれば、「電子署名」サービスについては、企業全体の14%が採用しており、29%が検討しているとのことです。今後は、「電子署名」サービスの活用が広まるものと予想されます。

5.契約内容にも注意を

 以上のように、政府の見解のとおり、押印がなくとも契約の有効性には影響せず、もちろん法律違反になるということもありません。

 押印がないと、後から契約書の真正が争われた場合に、押印以外の方法で真正であることを立証しなければならない負担が生じるので、この点がデメリットとは言えるでしょう。ただし、電子署名法上の「電子署名」は、押印と同等の効力があるため、「電子署名」が一般的となり広く活用されれば、特段デメリットはありません。

 なお、せっかく押印または「電子署名」があったとしても、契約書の内容が杜撰なものであれば、証拠としての意味はありません。契約書が真正であることと、真正な契約書の中身がどう評価されるかは別の話ですから、押印または「電子署名」があるから安心というものでもなく、この点は注意をする必要があります。